Wednesday, January 23, 2008

苗場スキー場での事件

2007年2月20日、日本の苗場スキーリゾートで悪夢は起こった。スキースロープの間の小さな小道で子供が転んだ事がきっかけだった。オーストラリア人のモヒカン頭の男が「どけ!」と激しい口調で私の家族に向かって暴言し、私に暴行を振った男は、スキーインストラクターであった。

ある香港の建築家と彼の家族は、インターネットを通し彼らのインストラクターとして、この男を雇った。この会社の名前はキャニオンズ XXX XXX、そして男の名前はデイミアン XXX XXXと言い、日本のスキー関係のウェブサイトでも実際に検索できる。。。なんて便利な世の中になった事か。

朝滑りを何度かした後、私の家族はホテルのタワー6をスキーして横切り、ドラゴンドラに乗るためにNo4のリフトに向かった。チェアリフトNo4の到着地点は狭いため、我々は少人数のグループに分かれ、2人のスキーインストラクターに先導してもらうことにした。私の妻と彼女の妹は小さい子供が一緒だったので、先に行かせた。私は、自分の兄と彼のスノーボード仲間を待っていた。兄が到着地点に着いたとき、ゴンドラへの行き方を教え、妻と子供たちの方へ向かった。

私がモヒカン頭の男が私の妻とその妹、そして子供たちに向かって叫んでるのを見たのは、午前11時ごろだった。二箇所のスロープをつなぐ狭い小道に全員が居て、モヒカン頭の男が数メートル先のところから叫んでいるのを聞いた。私は何が起こってるのか聞いた。
先ず最初にモヒカン男の発した言葉が「てめえには関係ない」だった。(日本語訳では率直に伝わらないが、英語ではタブーとされてる言葉)私はモヒカン男に「これは私の妻と子供たちだ。私は何が起こった聞いてるだけだ。何故彼女らに向かって暴言を吐くのか?」と聞いた。その時点で男の乱暴な言葉使いと悪態に、妻も子供たちも怯え、「もういいわ、行きましょう」と言って、逃げるように滑り去った。
彼らが去って間もなく、多分数秒後だった、モヒカン男が私に「俺とやるか?」と突然自分のスキー靴を外し、私にのしかかって来て、そのまま脇に押し倒された。突然の事で、全くの無防備だった。私はスキーもゴーグルもポールも持ったままの状態で倒れ、男の左手で胸を押し付けられ、彼は私の顔を殴りかかってきた。手足もふさがったままで、殴られるのを遮ろうとするのが精一杯だった。4,5発殴られ、男はたち上がり何も無かったかの様に、スキーを履いて去ろうとした。私は男に向かって「なんでこんな事するんだ?野蛮人」と叫んだ。男は立ち止まり「またやりたいか?」と言ってきた。私は男に向かって「お前は馬鹿げている」と言った。そして男は滑り降りて行ってしまった。
私が起き上がろうとした時、兄が驚いて何が起きたのかと聞いてきた。「あの男に殴られたけど、数発殴れただけだから大丈夫だと思う」と答えた。すると兄が私の顔を見て「いや、顔が腫れあがってひどい状態だ」と言い「警察を呼ぼう、どんな顔をしてた?」と聞いてきた。私は兄に男はモヒカン頭で、オーストラリアのアクセントで話し、黒のスキーウエアを着ていたと言った。彼は彼の娘と妻を置いて、一人でその男を捜しに行った。私はゴーグルを拾い、その男を捜しに兄を追った。
私の兄は、スノーボーダーでとても速く滑るので、遠くから彼のスキーウエアを目当てに追いかけるのが精一杯だった。右目瞼から出血していて、左の額はオレンジの様に腫れあがり、左目尻も腫れていて、あまり視界がきかなかった。兄がドラゴンドラに辿り着いた時、モヒカン男は彼の客とスキー場を去ろうとしていた。兄がどうにか彼を捕まえようとしたとき、モヒカン男の友人が兄をつかみ、後ろから羽交い絞めにしてきた。
モヒカン男は、兄に向かって押し倒すか殴りかかる勢いだった。しかし断言はできない。私のスキーの腕前は中級なので、兄に追いつこうと必死で滑ってはいたが、限られた視野でコントロールを失い、男が兄に何かしようとする前に、突発的にモヒカン男の方に突っ込んでしまった。モヒカン男と私が地面に転がり、気が付くとモヒカン男が私の上に乗り、また地面に押し付けられてしまった。
男は突然起き上がり、何も無かったかの様に立ち去ろうとした。私は男をどこにも行かせまいと彼を追った。男に警察を呼んだからそれまで待った方が良いと警告した。
そこには沢山の人が居て、誰かがスキーパトロールと警察を呼んだらしい。パトロールが来て、私に事情を聞いていた間に、モヒカン男は逃げてしまった。10分程して、警察が到着し、その後20分以上経ってモヒカン男が戻ってきた。

モヒカン男が現場から逃げ去り、彼の居場所が分かるまでに30分以上かかった。男の友人(先ほど私が衝突した時に、兄を羽交い絞めにした)がモヒカン男の携帯に3度か4度電話して話をしていたようだった。3度目か4度目の電話で、友人がモヒカンはパトロール室で待っていると私達に言ったので、私と兄は警察と一緒にそこまで行った。
パトロール室に着いた時、モヒカン男は隅に座っていた。私達が部屋に入ると、男は外に出て、誰かと外で話しをしていた。私達は警察官と話をしていて、何が起こったのか説明していたので、モヒカン男が誰と話していたのか見えなかった。
私の怪我は、顔と左の膝と足に深い切り傷が出来ていた。顔はとても腫れあがり、殴られた後で小さな切り傷や引っかき傷が何箇所にもあった。
2007年2月20日、この事件の報告書をそして翌日、21日には別の警察官が調査書を作成した。両方の書類はとても良く似ていた。通訳の人から大まかな意味は教えてもらったが詳細が不明だったので、それに署名をする事ができなかった。私は自分の弁護士か中国大使館がこの書類をチェックして問題が無いか確認できるまでは署名しないと警察官に伝えた。警察官は、私の状況を理解してくれ、検察に送る前に必要な書類を全てそろえると約束してくれた。